第1章:小学生~高校生時代はどうだったか
小学生の時を振り返ると、かすかに記憶に残っていることがある。
それは、小学生後半に給食ではなくお弁当を持参していたことだ。
なぜかというと、
源太の通う学校のクラスでは、給食を残しては行けない風潮であった。
だから、好き嫌いが多く給食を残すことが多かった源太はお弁当生活になっていた。
その、残してはいけないという重荷が今でも身体のどこかに残っていたのかもしれない。
中学生の時を振り返ると、給食でよくおかわりをしていた。
といっても、源太の好きなフルーツがメインではあるが。
よく苦いグレープフルーツを食べすぎていた(笑)
牛乳を飲むとお腹が緩くなるからそんなに飲めないなぁという記憶があるくらいで、
給食に対し、さほど嫌な記憶がない。
ただ、小学生の頃か中学生の頃かしっかりと覚えていなのだが、
サッカーのトレセン(選抜の選手)での合宿のご飯は残してはダメという風潮があり、
食べなきゃいけないという重荷はまたここでも加わっていた。
高校生の時を振り返ると、給食がなくなり今までの給食は解放された。
がしかし、食に対する興味などは全くなかった。
家族揃っての外食も行ったことがないし、年末に親戚と行く外食が苦手であった。
苦手というのは親戚ではなく、食べる方である。
高校生活に話は戻るが、お昼はお弁当か学食に友達と行くことが多かった。
よくデニッシュパンを買っていたような気がする。
だから、高校生活圏内においては残してはいけないに縛れれた記憶はほぼない。
授業の後に行くとしてもマックくらいだから楽しかった記憶の方が強い。
第2章:大学時代を振り返ると
大学を振り返ると、外食が苦手なのは顕著に現れていた。
外食の機会が増えるこのタイミングからよく遠ざけるようになっていた。
元太の地元の友達は、高校時代から外食によく行く人が多かった。
だから、高校終了後→大学生になるまでの休みの期間で誘われることが多かった。
しかし、食に対する興味がないのと苦手なのでテンションがあがらず、自然と誘われなくなったように思う。
大学になってからは新人歓迎会や外食祭りである、、、
苦手なことが盛りだくさん。
得意じゃない・普通じゃない源太は楽しめず、そして馴染めず壁にぶち当たった。
大学では、友達が肝心である。
数人のグループに入ったが、飲みや外食が苦手なうえ、
遊びに慣れていない源太は正直存在価値がないと感じていた。
だけど、大学を生き抜くにはグループが大切。
一緒に過ごさせてくれてありがとうと伝えたい。
特に、飲み会なんて苦手なので、一緒に過ごしたいと思う人は居なかったんじゃないかと思う。
源太の見た目は、パーマにメッシュ、時には短髪に金髪みたいな感じだった。
みんなが高校卒業くらいにすることが、大学途中からという明らかに大学デビューすらできず、
もっと遅れて成長している自分を心の中で重く受け止めていた。
他にも、様々なストレスが重なりたどり着いたのは、スロット通い。
よく地元の友達やアルバイトさきの先輩と行った。
食べるがメインでないから、心が落ち着くし、家には帰りたくなかったから。
30歳になった今でも思うのは、学生時代に友達と外食を楽しみたかった。
なぜかというと、外食・飲み会経験レベルがないまま大人になってしまったからである。
第3章:もしかして自分は会食恐怖症なのか
社会人になり、一気に今までとは外食という概念が変わりました。
大学では外食は必ずくるものではない。
避けることもできるけど、社会人は必ず付き合いが出てくる。
この時くらいから、毎日が怖くなっていた。
ただ、ご飯を食べるということなのだが、、、
就活から怯えていた、社会人生活が始まった。
幸いにも最初に就職したのは田舎の配属地だったためお昼ランチに行くということがなかった。
基本、休憩室で食べる。
人としての大人経験値も低かった源太は最初の就職先で、仕事を半年で辞めた。
期間を空けることなく2社目へ転職した。
ここでは、担当の先輩とお昼に行く機会が転職後最初の方にあった。
近くの牛丼チェーンである。
奢ってもらえるということで行ったのだが、まったく喉を通らずほぼ残した。
体調がとか、胃もたれがという訳のわからない理由を連呼しまくった。
社会人になって仕事先の先輩に連れられた初めてのランチで大きなミスをした。
その後も毎日数ヶ月は一緒に過ごす先輩とラーメン屋にも行ったこともある。
食べれないことがほほだった。
あれ、、、
この時くらいから、ただ単に外食が苦手、、、
というのではなく、もしかして外食恐怖症なのかと思うようになっていた。
第4章:はじめて打ち明けた日
今でも覚えている。
外食恐怖症を打ち明けた時のことを。
それは、大学生時代。
今の妻に、付き合って欲しいと告白した時のことである。
外食が苦手だから、色々といけないところが出てくるから、、、
などと源太は言った。
しかし、予想外の返事が。
一緒にお店に行って頑張ろうと。
受け止めてくれたのだ。
この日人生が変わりはじめた。
どんな未来になっていくのだろうか。
源太は家に帰ってからもこれから彼女とどのようにデートをしていくか考えていた。
そして彼女を幸せに・楽しい生活を一緒に送れるか心配になっていた。
第5章:社会人になってからの葛藤
第3章では、社会人になりたての時のエピソードに少し触れた。
その後どうなったかというと、先輩との研修期間も終わり、
一人立ちしたので、ランチに行かなくなった。
正直、心が軽くなった。
職場の周りの人はよくランチにラーメン屋に行っているのを知っていた。
本当は一緒に行きたいと思っていたが、興味がないふりや弁当持参スタイルに切り替えた。
だから、自然と周りも誘ってこなくなった。
数ヶ月に一度、数人で仕事中にランチに行く機会があった。
今日はどこのお店になるのだろうかと毎回不安に思っていた。
自分が当時食べやすいと感じていたうどん屋さんになりそうな時に、
賛成アピールをしたりした。
とても緊張しながら食べた記憶がある。
社会人になって、初めての異動があった。
気づけば数年間仕事でランチに行かない生活が当たり前になっていた。
源太は20代半ばになっており、異動先はと言うと若い人が多かった。
仕事後はみんなで集まってしゃべる。
とても楽しい職場。
源太にとっては、仕事後ただ話すだけならとても楽しかった。
周りの方々も話しやすい方が多く、焼肉や寿司に行く機会もあった。
源太の症状的にはこの時は、自分で少量とれるスタイルなら行けた。
あの時一緒にご飯にいったことを今でも嬉しく思っている。
たぶんみんなが当たり前にご飯に行くこと以上に、、、
仕事後だと数人で行くことが多かったので行きやすかった。
しかし、仕事中のランチにはなかなか乗り気になれなかった。
だから、ここでもお昼の孤独が多かった。
仕事が忙しいふり、はたまたお弁当持参。
なにも前と変わっていない。
ランチの話には入って行けない。
本当は羨ましく一緒に楽しみたいだけなのに。
この頃はみんなとご飯に行って楽しみたいし、共通の話題をしたい、、、
という欲求がとても高かった。
だからこそ、自分の症状と行動が離れてしまい、ストレスが増えた。
友達がいっこうにできない。
変な言動で人を自然と遠ざける癖は相変わらず。
周りから自分はどう思われていたのだろうか。と考えることが多かった。
同棲していた時には、仕事後は忙しいからと理由とつけてみんなと夕食を食べないで帰っていた。
この時はだいぶ会食に苦手意識があることに毎日苦労していた。
たまにある会社の飲み会はお酒が飲めないと行ってほぼ飲んでいなかった。
普段から周りとご飯交流をしていないから0次会も行く人はいない。
テンションが高いことが多いが、ご飯系のことは全くテンションが上がらない。
とても心苦しかった。
第6章:会食恐怖症という言葉を知るきっかけ
20代後半になり知った言葉がある。
それは、会食恐怖症。
なぜ知ったかというと、もう限界まで追い込まれたので、
毎日のようにウェブで検索するようになっていた。
その当時はネットで、「外食 苦手」などと調べていた。
出てきても数件のブログやYouTubeなどであった。
だが、ある時「食べなくてもいいカフェ」があるのを知った。
そこで、会食恐怖症について書かれていた。
色々しらべ、世の中には同じ境遇の人がたくさんいることを知った。
少し心が軽くなった。
定期的にイベントが開催されるようで、タイミング的に新幹線でないと行けない距離。
妻に相談し、行くことを押し通した。
何か得られるものがあるのではないか、これに参加しなかったら何も変わらない。
何か希望を託し新幹線のチケットを買った。
いざ、お店の前に、数回緊張で素通りした。
数名の参加者がいた。
自己紹介からはじまり色々と語り合った。
学生のころに打ち明けた以来、数年間隠していたことを言える場所ができた。
源太は泣きそうだった。
数時間では話し切れないとても濃厚な時間であった。
源太には予想外のことがあった。
それは、会食恐怖症ということを周りの友達などに行っている方が多かったこと。
とても驚いた。
周りの方も受け入れてくれたと言っていた。
その行動力に圧倒された。
源太は数年間も言えなかったのに、、、
イベント後、帰宅し何回も何回も今までの自分の人生を振りかえった。
この先の人生変えるなら、まずは打ち明けることをしようと思った。
ある晩、前に一緒に仕事をしていた後輩に電話をしたいことを伝えた。
個別でご飯に行けていた訳でもないが、源太の中でとても信頼している方だったから。
第5章で、焼肉や寿司にみんなで行っていた時のメンバーだ。
しかし、その当時はまったく伝えていなかった。
だからこそ、電話がつながりなかなか言い出せなった。
今にも辛すぎて泣きそう。
数秒が経ち、会食恐怖症という言葉を伝えると、受け入れてくれた。
聞いてくれてありがとう。と伝えたい。
今までの数年間の人生がなんだったんだろう。なぜ言えなったんだろう。と考えた。
第7章:一人での外食挑戦
一人で外食。
源太にとっては、とても緊張する。
次の章で彼女との会食について述べるが、
彼女と行くよりも一人での外食の方が辛い。
なぜかというと、一人だと残した時に食べてくれる人がいないからだ。
これを書いてて思うのだが、残すということに源太は抵抗があった。
小学生の時の経験がトラウマになっているのだと大人になって気づく。
チェーン店のカフェにトライしたことがある。
飲み物と少量のおやつであればさほど緊張しないで食べれそうな気がした。
チェーン店だと安心できるし、時間をかけれるし、知っている味が多い。
だから、チェーン店を選んだ。
これは、第6章で述べた「食べなくてもいいカフェ」に参加した方の多くが賛同していた。
20代前半は1人でこういったカフェやマックにトライすることが多かった。
基本圏外に、一人旅をした時もマックへ行くことが多かった。
安心できる場所だった。
20代後半には、お蕎麦屋さんなんかにも挑戦した。
でもそれもpチェーン店で具なしが多かった。
レストラン系では、食べれないことが多々あった。
1人での挑戦回数は少なかった。
第8章:彼女との会食にトライ
彼女が本当に支えだった。
一緒にご飯へ行こうと誘ってくれた。
ラーメン屋に行った時のこと、とても緊張していた、、、
源太に残したら私が食べるからと言ってくれた。
少しづつトライする。
少し食べられた。
源太にとってはこれだけで嬉しさがあった。
何年間か付き合うに連れて、外食できないことで少し揉めることも多々あった。
行ける場所が限定されてしまうからだ。
本当に彼女の人生の時間を源太のためにさいてくれてありがとうと毎日思っていた。
ひどい時には、フードコートのど真ん中でご飯を食べようとして緊張して、
全く喉を通らず、トイレに落ち着きにいったりした。
しまいには、外のテラス席へと異動させてもらった。
あの時は寒かったから人が外にはほとんどいなかった。
環境的には、あの時の源太は周りに人がいるとなかなか食べられないことが多かった。
また、近くに逃げられるトイレなどがないと落ち着かないことがあった。
県外のショッピングセンターに買い物に行った時のこと。
チェーン店でないおしゃれなご飯屋さんへ行ったことがある。
お昼時だったので、とても混んでいた。
そして店内はそんなに広くなく隣のお客とも近い作りになっていた。
当時の源太には、とてもアウェイ。
逃げたい。。。と思っていた。
順番待ちが近づくにつれて考えていたことがある。
・順番待ちの列がテーブルに近い作りだったので、遠くの席になること
・隣の席が遠いテーブルにいくこと
・カウンターだけはやめてくれ
などと考えていた。
いざ、どうなったかというと、目の前に店員さんがいるカウンター席だった。
アウト。。。
彼女にも緊張していることを伝えた。
しかもメニューは苦手な定食だった。
普段から定食なんて食べ切れたことがなかった。
頼んだ直後から、トイレへ逃げた。
戻ると席にはご飯。目の前には店員。
鼓動が止まらない。
結果は、食べ切れずにほぼ残した。
第9章:普通になりたいと思う日々
毎朝起きるたびに、リセットされて普通にご飯が食べられるようになっていたらと考えていた。
SNSを見るたびに、ご飯を友達と食べる写真がアップされている。
ごく普通のことだろうが、源太には眩しく見えた。
そして、いつしかSNSを見るのが怖くなっていた。
いいなぁ。普通に友達とご飯に行きたい。
と考える日々が続いた。
第10章:会食恐怖症で30歳を迎えた心境
このまま、40歳になり、50歳を迎え、60歳で退職して、、、
考えるだけで怖くなった。
学生の頃とは生活スタイルが変わり、ただ遊ぶのではなくご飯に行こう!というのが、
交流になることが増える社会人。
だから、交流幅がどんどん狭くなっていくのが身をしみて分かっていた。
ボランティアに挑戦したりして、人と交流する機会を作った。
しかし、ご飯に行くというものではないから、その時だけの交流であった。
2社目から3社目への転職を控えたあたりでは焦りがピークなっていた。
30歳にもなり、人との交流・会食の経験値が低い源太。
転職できるのか、不安だった。
そして、3社目へ転職も無事に成功。
しかし、まだ会食はほぼできていない。
だから、お昼休憩にたまに外食に1人で挑戦した。
チェーン店メインだった。
しかし、前と比べ一品メニューではなくランチセットのようなものにも挑戦した。
ここで大きな転換点も迎える。
3社目の初めての異動のことだ。
移動日から、ほぼ毎日お昼は1人で外食へとトライした。
近場のご飯屋さんへ、チェーン店やそうでないお店まで。
しかも、ラーメン屋のカウンターなど今までの源太ではあり得ないことへ急に挑戦スピードがアップした。
1ヶ月ほど外食を続けたが、挑戦初日の成功が効いたのか、外食が楽しくなった。
こんなにも美味しいお店があるのかと驚いた。
会社の先輩に美味しいお店を教えてもらうとすぐに行った。
会食恐怖症に対する今までの気持ちがだいぶ変わってきた。
外食ができるようになってきている。
第11章:先輩方が誘ってくれたラーメン屋
2社目の時に、先輩方にラーメンに誘われたことがある。
後輩が多かった環境から先輩方が多い部署へ異動したのだ。
会食経験値がなく、飲み会でもお酒が飲めませんといい、
飲み会に慣れていないから、仕事以外にも会食の場で上司ともうまくいかなかった。
源太には欠如していることが多かった。
話は戻るが、ラーメン屋に先輩に誘われ、とても緊張していたのを覚えている。
女の先輩と男の上司だ。
ご飯に行けてとても嬉しいという反面、緊張がやばかった。
話がとても楽しかったから、なんとかご飯も食べられデザートも食べられた。
正直こんなに嬉しいのは久しぶりだ。
その後も数回ラーメン屋やそれ以外のお店にも連れて行って頂いた。
その時の写真は一生忘れない。
第12章:未来は自分で変えるしかない
30歳になるまで、未来に不安を持っていた。
今源太は31歳。
未来のは希望しかないと感じている。
・あの日、彼女に出会えたこと
・食べなくてもいいカフェに参加したこと
・後輩にも打ち明けたこと
・会社の3社目へ転職という環境の変化
何かのタイミングで少しづつ小さなトライをしてきた。
それが、会食恐怖症を少しづつ良くする鍵になっていた。
おわりに
最後の章まで読んでくださりありがとうございます。
源太が会食恐怖症を少しづつ克服するにあたり実践してきたことなどをまとめたいと思います。
・1人でも外食に挑戦
・会食恐怖症の当事者が参加するイベントに参加
・彼女と会食に挑戦
・彼女、友達に会食恐怖症であることを告白
・全てご飯を食べ切る必要がないと心の重りをなくす
・友達をご飯へ誘う
・残しても良いから様々な環境のご飯屋さんへトライ
今回の執筆は初めてなので書き切れていないことやうまくまとめられていないところが多いと思います。
しかし、当事者の方へ届けたいことは当事者からしか伝わらないと思うので書き上げました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

